ホームベースドエデュケーションとは

今の日本とホームベースドエデュケーション

「ホームベースドエデュケーション」という言葉はいかにも耳になじみのなさそうな言葉です。直訳すれば「家を基盤とした学び」ということになります。日本では子どもが学ぶというと学校に行って授業を受けるというイメージ以外持ちにくい状況にありますが、アメリカでは200万人以上など欧米など諸外国では、この家を基盤とした学びを選ぶ家庭が増えてきています。

学校に行かないで育つというと日本だと「不登校」のイメージが強いですね。先ほどのアメリカの子どもたちは、確かに学校に行っていないのでそういう意味では不登校と言えるのかもしれません。実は、日本以外の国には、日本のようなイメージの不登校はありません。

ホームベースドエデュケーションは家を拠点に子どもに合った学びをすることです。きっかけは、不登校でもコロナでも、子どもに合った学びを求めて、でも家を拠点に子どもに合った学びをしていれば、それはホームベースドエデュケーションです。家庭には、思いのほか学びの素材がたくさんあります。インターネットで広い世界ともつながれます。また、街には探してみると学びにかっこうの材料や機会が溢れています。どの家庭にも豊かなホームベースドエデュケーションの可能性が開かれています。(518文字)

不登校とホームベースドエデュケーション

 ホームベースドエデュケーションという言葉の歴史は50年ほどになります。学校の勉強に合わせるのではなく、子どもの興味関心やペースに合わせた学びを家庭を中心に実践するという活動をアメリカで始め、展開したパット・モンゴメリーさんが使い始めました。歴史はもっと古く、アガサ・クリスティーもエジソンもそうです。もっと古くは、アリストテレスが家庭教師を務めたアレキサンダー大王もそう言えるのかもしれません。ホームベースドエデュケーション以外にも、ホームエデュケーションとか。ホームスクーリングという言葉もあります。

 ホームベースドエデュケーションという言葉は、家を基盤にと言っていて、家中心でもいいし、家以外を使ってもいいよというニュアンスがあります。図書館もプラネタリウムも、美術館も、公民館も、屋内プールもどれもホームベースドエデュケーションの舞台になります。東急ハンズや伊東屋などの大きな文具などを売っているお店のワークショップも刺激的な学びの機会になりえます。

 「それでは、不登校して家にいたらホームベースドエデュケーションになるんですか?」という質問もよく受けます。渡辺位さんという児童精神科医は、不登校は学校に行っていない状態を表す言葉で、用語本来の意味としては、風邪で学校に行っていないのも、被災して学校に行っていないのも、いじめを苦にしてのものも、不登校といえると言っています。現在の不登校という言葉の使い方は、何らかの理由で学校に合わなくて学校に行かない、行けない状態のことを指すことが多いです。不登校をきっかけにホームベースドエデュケーションをする子もあれば、フィギュアスケートの練習を中心にしたいのでホームベースドエデュケーションを選んだとか、より子どもに合った学びを望んで選んだという家庭もあります。(文字数745)